早川信久(隆教)とは
伝聞も入りますが、当時の棋界は団体が整備されておらず、棋士の生活は将棋では成り立たなくて、多くの棋士は賭将棋による収入か、「(今でいう)将棋教室」運営によって生計をたてていました。
隆教は賭将棋を嫌い、また将棋は虚業で、「本業は刃物屋」という信念をもっていたようです。
刃物屋を営む傍ら教室を開き、人に将棋を教えた。
こうして「将棋八段の刃物屋」が誕生したというわけです。
隆教は逸話の多い人です。
当時はまだ珍しかった「車」にはねられ、片足を傷めました。
このときから座るときは片膝を伸ばし、現在に残る写真はそのほとんどが傷めた膝を伸ばして対局している姿です。
早川家に残る信久の看板
「将棋八段 早川隆教」とあります。
人の目を気にしなかった隆教らしく、端材を使って作ったようです。
京都市北区にある墓
水鉢は将棋の盤に駒がのっている形をしています。
墓参りの折、生前の信久をご存じの方に声をかけていただいたことがあります。
このページは
このページは早川刃物店のブランド「信久」を紹介すると同時に、初代である信久について記録することも目的のひとつとしています。
「将棋八段」という高位にいながら、ネット上で探しても情報らしき情報がみつからないこと(注)、生前の信久(隆教)を知る人が多く鬼籍に入り、信久について調査することが困難になることに気がついたことがこのページを作成することにした契機です。
信久についてご存じの方、また何か資料をお持ちの方は、お教えいただけるとうれしいです。
(注)ネット上で探しても情報らしき情報がみつからない
最近はみられるようになってきました。